Fumikoの履歴書 第5話

まさかの転職~体育の先生から美容の世界へ~

第4話からの続きです。

「バリに行って、海で瞑想したりして、神々のメッセージを聞いてから、転職を決めよう」とバリ行きを強行。

しかし、空港に降り立った瞬間「先生やめよう!!さぁ帰ってからすぐに校長に言いに行かなきゃ!」と決心がついたのです。自分でもびっくりでした。まさか空港で決まってしまうとは。

 

思い返してみると、空港に降り立ったとき、小さいときから好きで見ていた海外旅行番組(「兼高かおる世界の旅」など)が潜在意識に入っていたのか、旅人達の笑顔や自由な空気感、外に出たときの青空を見たとき「自分が一番求めていることは「自由であること」だ。これから学校という枠から飛び出して私が自由で生きる背中を見せる!と勇気が湧いて決めることができたんだなぁと思います。日本にはない場の空気感が背中を押してくれました。

 

そうして、2009年1月、校長先生とのバトルがあったけど、「どんな理由でもいいのでやめさせてください」とお願いし、ようやく退職を認めてもらえました。実は、校長に言うまで先生を辞めることを、家族にも同僚にも言ってなかったのです。後でわかったことですが、校長先生は、連日家族に「退職を思いとどまらせてくれ」と直接電話していたそうで、夫も母も「あの人、そう決めたら絶対変えないから言っても無駄です」と伝えていたと。やっぱり家族はよく分かってるなぁと感心した出来事でした。

 

教員を辞めた理由

生徒の成長に携わりたいと思って教員をめざし、10年かかってようやく採用された「教員」という仕事でしたが、生徒よりもPCに向かう時間の方が長いという矛盾、そしてプライベートもないような仕事の状況、本当にこの仕事をこの後何十年もやり続けられるのだろうか、後悔しないのかと、日々悶々としていました。

学校で常勤講師として勤務する前のエアロビクスインストラクター時代から「自分が関わることで人が変化していくのを見るのが大好きだった。だったら、苦しい想いをしてまで先生という職業にこだわっている必要はないじゃないか。プライドはいらない。対象が変わるだけじゃん!」と思うようになったのです。

次の職業となるずっと愛用していた化粧品サロンの社長が、先生をする以前から、「あなたは学校なんて合わない、メイクも上手いしおしゃれだし、しゃべるのも得意。この会社に入ったら絶対楽しいよ!海外にも毎年行けるし!」と海外研修の写真を見せ、声をかけてくれていたのも大きかったんです。学校という狭い枠の中で、個性を発揮することはあまりよしとされない世界より、華やかで自由なもっと広い世界で仕事がしたいという想いが募っての転職という決断でした。

 

仕事を辞めて向かえた2009年4月1日の朝、目覚めたとき「今日から自由だー!」と叫んだと同時に涙が溢れたのを今でも思い出します。

 

そして、選んだ仕事とは何かというと・・・

 

 

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